この夏、参加しているメーリングリストに、青森インターナショナルLGBTフィ
ルムフェスティバルで、1984年度のアカデミー最優秀長編記録映画賞を受賞し
た、ハーヴェイ・ミルク のドキュメンタリーThe Times of Harvey Milkが上映
されるという案内があった。その後、アメリカ合衆国の大統領選挙中に、公民
権運動でのキング牧師の有名な演説「I have a dream」が何度も引き合いに出
されていたこともあり、マイノリティの運動に積極的にかかわったハーヴェイ
・ミルクのことを再び思いだした。また、奇しくも、1978年11月27日に彼が凶
弾に倒れて30年を迎える今月26日アメリカでは、彼の人生を描いた映画「ミル
ク」がショーン・ペン主演で公開されることを知った。
NPO活動の先進都市ともいわれるサンフランシスコには、様々な社会問題の影
響を受け移り住む人が多いこともあり、多様な価値観や、NPOの活動内容や支
援手法が数多く展開されている。そのサンフランシスコで、10年ほど前5週間
のNPOインターンシッププログラムに参加した。その時、サンフランシスコが
市民活動のメッカのひとつとして発展していった上で、大きな影響を及ぼした
「ハーヴェイ・ミルク」のことを初めて知った。
彼は、77年に全米で初めてゲイだとカミングアウトして選挙に立候補し、3回
落選した後市政執行委員(市会議員にあたると思う)に選ばれた。当時は、ゲ
イであることが分かれば、学校ではひどいいじめを受けたり、軍隊や教職を追
われたり、一般の職場でも即刻解雇されたため、多くのゲイたちはひたすら隠
しつづけて生活していた。
その時代に、「隠れるのをやめて、みんなで力を合わせて自分たちの権利を主
張しよう」と声をあげ、市政に関わることで実際に人びとの意識を変革してい
こうとした。どれほどの勇気、情熱、エネルギーを要したか想像を絶するが、
彼が多くの支持を得たのは、とても人なつこく、明るかったからだと思う。様
々なマイノリティの権利運動が動きだした時期でもあり、77年の市政委員には、
初の女性擁護者、初の中国系米国人、初の黒人女性が選出されたエポックメー
キングな年でもあった。
彼は障害者や高齢者など他の少数派問題にも取り組んだが、78年就任から11ヶ
月弱で、当時の市長モスコーニとともに凶弾に倒れた。「ゲイの市長と呼ばれ
た男〈上・下〉―ハーヴェイ・ミルクとその時代」(草思社)には、彼の生い
立ちや経歴、活動など詳しく書かれているが、海軍、保険会社、ウォールスト
リートの証券会社などで働いたり、ミュージカル「ジーザス・クライスト・ス
ーパースター」などのプロデューサーをしたりと多才な人であった。それなり
に裕福に生活していたその頃の彼は、ひたすらゲイであることを隠し、自分と
恋人との生活を楽しめたら満足と思っていたようだ。
ところが突如ヒッピーとなり、サンフランシスコのカストロ・ストリートでカ
メラ店を開き、商売はそっちのけでゲイの権利運動に奔走することになる。カ
メラ店を運営、生活費を稼ぎ、彼の政治的活動を支えていた当時の彼の恋人に
はとうとう光は当たらなかったが、私は同時にほめたいと思う。
先に挙げたドキュメンタリーThe Times of Harvey Milkは、YouTubeで日本語
の字幕入りで見ることができる。ただし、投稿の容量の問題だと思うが、10本
に分かれている。
タグ:ハーヴェイ・ミルク
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